東京地方裁判所 昭和63年(ワ)15186号 判決 1990年7月20日
原告 矢田綾野
右訴訟代理人弁護士 佐野榮三郎
原告 矢田與彦
<ほか二名>
右三名訴訟代理人弁護士 本間通義
同 橋元祐之
訴訟復代理人弁護士 守屋宏一
被告 国
右代表者法務大臣 長谷川信
右指定代理人 村上恒夫
<ほか二名>
主文
一 原告らが、別紙物件目録一記載の土地につき、それぞれ四分の一の共有持分を有することを確認する。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 (二〇年の取得時効)
訴外亡矢田與久(以下「與久」という。)は、昭和一〇年一一月二日、別紙物件目録一記載の土地(以下「本件係争地」という。)の占有を開始し、以来二〇年間、その占有を継続していた。
2 (一〇年の取得時効)
(一) 與久は、昭和一〇年一一月二日、本件係争地の占有を開始し、以来一〇年間、その占有を継続していた。
(二) 與久は、その占有を開始するにあたり、本件係争地が自己の所有であると信ずるにつき、過失がなかった。すなわち、
(1) 與久は、訴外村越匡次から、昭和一〇年一一月二日、別紙物件目録二記載の土地(以下「本件土地」という。)及び同目録三記載の建物(以下「本件建物」という。)を買い受けたものであるが、本件建物は、本件係争地及び本件土地にまたがって建てられていた。
(2) 與久は、右売買に当たり、本件土地の実測図面を交付されたが、右図面では、本件係争地が本件土地に含まれるものと表示されていた。
3 原告矢田綾野は、與久の妻であり、その余の原告らは、いずれも與久の子であるところ、與久は、昭和五六年二月三日、公正証書による方式に従って、本件土地及び本件建物のみならず本件係争地についても、原告らにそれぞれの持分を各四分の一とする共有として相続させる旨の遺言をした。
與久は、昭和六一年一〇月八日、死亡した。
4 與久は、右1又は2により、本件係争地を時効取得したので、原告らは、被告に対し、昭和六三年一二月九日の本件口頭弁論期日において右時効を援用する旨の意思表示をした。
5 被告は、本件係争地につき、原告らがそれぞれ四分の一の共有持分を有することを争っている。
6 よって、原告らは、被告に対し、本件係争地につき原告らがそれぞれ四分の一の共有持分を有することの確認を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は否認する。
2 同2(一)、(二)の事実はいずれも否認する。
3 同3の事実は知らない。
4 同5は認める。
三 抗弁
1 本件係争地は、土地台帳付属図面(以下「公図」という。)上、道路と表示されており、昭和二八年四月一日以降新宿区がその管理者である道路法上の道路であって、公共用財産である。
2 (與久の悪意又は過失)
(一) 與久は、本件係争地の占有を開始する際、本件係争地が自己の所有でないことを知っていた。
(二)(1) 與久が本件土地及び本件建物を買い受けた際に交付されたとする実測図面は、大正五年六月四日に作成されたものであり、與久が本件土地及び本件建物を買い受けた時点では、既に実測後二〇年を経過していたものである。
(2) 本件土地の登記簿上の面積は九四坪七合二勺であるのに対し、右実測図面での面積の表示は一一九坪六合三勺となっており、約二五坪の差がある。
(3) 右実測図面により本件土地とされている部分の形状は、公図の形状と明らかに異なっている。
(4) よって、與久は、本件係争地の占有を開始する際、本件係争地が自己の所有ではないことを知らなかったとしても、自己の所有であると信じるについて過失があった。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の事実は認める。
2 同2(一)の事実は否認し、同(二)(1)ないし(3)の各事実は認める。
五 再抗弁(黙示の公用廃止)
本件係争地は、少なくとも大正五年六月以降、道路としての形態、機能を失っており、かつ、與久が、本件係争地の占有を開始した後、昭和六三年一〇月に本訴を提起するまで、本件係争地の明渡を求められるなどの事実はなく、実際上公の目的が害されているとはいえず、これを公共用財産として維持すべき理由もない。
六 再抗弁に対する認否
再抗弁の事実はすべて否認する。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因について
1 同1の事実について
《証拠省略》によれば、與久は、訴外村越匡次から、昭和一〇年一一月二日、本件土地及び本件建物を買い受け、これに居住していたこと、本件建物は、本件係争地及び本件土地にまたがって建てられており、かつ、右買受けの当時既に本件係争地とその北側の現実に道路として通行の用に供されている部分との境に高さ約一メートルの石積みの擁壁が設置されており、與久は、本件土地を買い受けた際に、本件係争地が本件土地に含まれるものと理解していたこと、本件建物は戦災により地上の木造部分が焼失したが、與久は、昭和二八年に右被災前の地下室を生かして従前同様本件係争地及び本件土地にまたがる現存の建物を建築し、昭和六一年一〇月八日に死亡するまで、引き続きこれを所有していたことが認められ、これらの認定事実によれば、與久は昭和一〇年一一月二日から本件係争地の占有を開始し、以来二〇年間その占有を継続していたものと認められる。
2 同3の事実については《証拠省略》により認められ、同4の事実については当裁判所に顕著であり、同5の事実については当事者間に争いがない。
二 抗弁1については当事者間に争いがない。
三 再抗弁について
《証拠省略》によれば、大正五年六月四日の時点において本件係争地及び本件土地が実測された際には、本件係争地と本件土地は一体のものであり、前判示のとおり與久が本件土地を買い入れた昭和一〇年一一月二日には、別紙物件目録一添付図面(以下「添付図面」という。)のADを結んだ直線上に高さ約一メートルの石積みの擁壁が既に設置されていたこと、このようにして、かねてから添付図面のADを結んだ直線に相当する直線が道路との境界と認識されていたこと、與久及び原告矢田與彦らは、本訴を提起するまで、被告や新宿区等から本件係争地が道路であることの指摘を受けたり、その明渡しを求められたりしたことがなかったこと、本件係争地を道路として人の通行の用に供するとしても、わずか一五メートル余の長さの不自然な道路拡幅部分となるにすぎず、そのままではその道路としての機能を適切に発揮するには至らないことが認められ、これと前記一1において認定した事実とを総合すれば、本件係争地は、長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置され、道路としての形態、機能を全く喪失しており、かつ、この上に與久の前所有者時代以前から引き続き私人の平穏かつ公然の占有が継続したにもかかわらず実際上公の目的が害されることもなかったことが認められるのであって、もはやこれを公共用財産として維持すべき理由がなくなったものというべきであるから、本件係争地については、つとに黙示的に公用が廃止されたものとして取得時効の対象となりうるものと解するのが相当である。
四 以上によれば、與久は、遅くとも昭和三〇年一一月二日の経過によって本件係争地を時効により取得したものというべきである。
五 よって、原告らの本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 雛形要松 裁判官 北村史雄 貝原信之)
<以下省略>